素晴らしき製本

第4回インタビュー 株式会社出版デジタル機構 取締役会長
専修大学 文学部 人文・ジャーナリズム学科 教授 植村 八潮 様

--大学の教授というお仕事と、出版デジタル機構の会長とどちらもお忙しそうですね。

日本の出版社は電子書籍化の準備が遅れています…

大学と会社とを行ったり来たりですが、忙しいのは慣れっこですね。大学の授業が終わったら何時何分の電車に乗って・・・と、もうだいたいタイムテーブルが頭の中に入っています(笑)。
出版デジタル機構では、今、出版界全体に声をかけ、書籍の電子化のお手伝いをしています。日本の出版社って4000社といわれますが、毎年新刊を発行している会社となると1800社くらいで、その多くが数人から十数人規模の小資本です。経済産業省「コンテンツ緊急電子化事業(緊デジ)」に登録したのは463社です。緊デジは東北被災地域で電子書籍化した場合、その費用の半分を補助金で賄う国家事業です。JPO(日本出版インフラセンター)と組んで電子書籍制作に取り組んでいますが、書籍出版社は、いままでのところ電子出版に関して準備ができていなかったですね。中堅出版社でも、本格的に取り組んでいたところは多くはありませんでした。電子化で最初に問題となるのは著者との契約ですね。ここがなかなか進みませんでした。

--2010年に電子書籍ブームが立ち上がった際に、製本組合でもお話いただきました。

覚えています。講演を頼まれた時、最初「製本は僕ダメだな」とお断りしたんです。
それは「製本について自分はよくわからないのでお話できない」という意味だったんですが、「製本業界はダメだ」と受け取られたようで・・・慌てて言い直したんです(笑)

--今日は電子書籍に携わる植村先生に、電子ではない「本」の話を伺いたいのですが。

…神田の古本街と秋葉原の電気街が、僕の原点…

僕はいま、電子書籍をつくるというところに身を置いていますが、そもそも出版と電子の世界に興味をもったのは結構古くてですね・・・
神田の古本街を初めて訪れたのは、よく覚えていますが10歳の時です。父が本好きで、明治以降の近代文学作品の多くが家で読めるんです。他にもたくさん本があって、木造の家がだんだん沈んでいくくらい本を集めていました。土曜日の古書展には必ず行っていて、神田の古本屋をひととおり散策するんですね。
僕は10歳のときに初めて神保町の青空市に連れて行ってもらったんです。父は僕を放りっぱなしで真剣に古本をあさるわけです。なんか不思議な感じがしましたね。子供心に古本なんてボロボロだから安いと思うじゃないですか?それがまた高いんですよ。それにも驚いて。裸電球の中でおじさんたちが真剣に古い本を探しているその光景に、なにか特別なモノを感じたなぁ。神田は聖地のようなそんな印象があるんです。
同じころ、近所のお兄さんが当時神田にあった交通博物館に連れて行ってくれたんです。交通博物館の記憶はほとんどないんですが、そのあと連れて行かれた秋葉原の街にはまってしまったんです。そのお兄さんはアマチュア無線が趣味でね、帰りにちょっと秋葉原の街に立ち寄ったわけです。ガードの下に真空管とか、電球とか、ラジオとかがたくさん並んでいて、ここはいったいなんだろう?!って、迷宮に入り込んだような光景にワクワクしました。それから、そのお兄さんに頼んで真空管のラジオを作るのを教わったり、アマチュア無線をやったりというラジオ少年でした。10歳で奇しくも神田と秋葉原で本と電機、それぞれの魅力に気づいて(笑)。
それからは本屋に来ると同時に秋葉原に寄って自分でもトランシーバーをはじめ、いろいろ作りましたね。「子供の科学」とか「初歩のラジオ」などに投稿したりしてね。そんな感じだったので、あのころは今でいう「科学ジャーナリスト」とかになりたかったですね。

--大学卒業後は、電機大学の出版局で編集のお仕事をされていたんですよね。ということは、本を作る側だったわけですが、ご自分で編集に携わった本で何か、いろいろあると思うんですけれど、どんな思い出がありますか。

植村 八潮 様

…結局34年間出版をやっていたのですから「本」が好きですね…

大学は工学部に進みましたが、しだいに原稿とか書く方に興味が湧いて、基本的に本も好きだし就職のときは理工系出版社に入って編集者になろうと。工学と本の両方をとったわけです。
出版局には34年ほどいたわけですが、編集では、情報やコンピューターというものがジャンルとして出来上がる時期が、一番面白かったですね。編集者としてスタートした頃は、年間4冊とか5冊しかつくらなかったと思います。私が出版社にいる時代はちょうど鉛の活字の活版印刷技術から、写植、電算写植、DTP、製版はアナログからCTPへと印刷技術が次々と変わっていく時代であり、その過程を全部経験しました。技術の進展に伴って、印刷会社の生産性は圧倒的に上がり、それに応じて編集者の一人当たりの出版点数も増えていきました。何冊作ったとかということもあまり記憶にありませんが、多い時には年間で18冊ぐらいでしょうか。
活版印刷だったころは、文選工や植字工には“渡り職人”もいて、三校で赤字をたくさん入れたりすると怒られたものです(笑)。かつて職人さんは、毎日のように神楽坂に飲みに行けるほど儲かったという話です。その最後の世代です。鍛えられた匠の技があれば、一生食えた時代だったんです。アナログ時代は印刷会社や職人によって技術力に差が出ましたが、デジタル時代になって技術の平準化が進みました。今は特別な技術を身につけたとしても、その技術は定年までもたないという難しい時代です。

--今は紙の本より電子書籍を使うことのほうが多いですか?

植村 八潮 様

文芸の電子書籍はあまり読みません。一方、学術研究には電子書籍が便利です。「所有物」の本と「使用物」の本は別ですから…

電子書籍は学術研究にはかなり使いますし、仕事柄何台も試していますが、個人的に電子書籍端末で文芸小説を読もうとは思わないですね。いまでも本はたくさん買います。そして父親と一緒で捨てられない(笑)。今のところ平均的日本人にとって、本は所有財なんですよ。だから製本とか装丁とか紙質とかによって売れ行きに影響が出る。買い手にこだわりがあるから、造り手もこだわるんです。一般論で言えば、アメリカでは公共図書館が発達していて、本は借りて読むことが多く、読書は情報の消費行為です。その感覚だからKindleのような電子書籍端末で読むことにも抵抗がなく、売れるわけです。

文字は言語そのものであり、当然、本は言語依存するし、読書そのものが各国の文化を反映します。漢字を持つ表意文化の日本と、母音、子音の多い表音文化のアメリカでは読書のあり方が違います。アメリカではオーディオブックが売れていますが、日本では売れないでしょ。だからアメリカの真似をする必要はないと思うんです。 ヨーロッパの電子書籍はこれからです。ドイツでは電子書籍は書店で売ると言っていました。なぜかというと、本というものは、作家と読者の出会いであり、その場を作るのが書店員の役割だと思っているわけです。書店員になるのに職業資格が必要な、いかにもドイツらしい誇りを感じます。このような発想があるヨーロッパを見ないで、アメリカのやり方が世界だと思いがちです。出版は各国固有の文化産業であり、日米欧アジアみんな違います。

--これから印刷や紙メディアはどうでしょうね?

あと20年くらいは大丈夫だと思います。

ITは急激な速度で変化しています。Facebook、YouTube、GREEといった、10年前にはなかった企業によるサービスを、いまでは誰もが当たり前に使っています。世界中どの国でもネットワークにおける文字の流通量は激増しており、誰でもディスプレイ上の文字を日常的に読んでいます。いや、読まなければ仕事にならないでしょう。出版は各国固有の文化があると言いましたが、ITでは、グローバルスタンダード化が進んでいます。
その一方でPCの登場で、もう紙は減るとか言われ、印刷ももうダメだと言われてきましたが、みんな何だかんだといっても紙の本を読んでいて、減ってはいますが今までのところ産業構造は変わっていません。たぶん、世代が変わらなければ変わらないのではないでしょうか。紙に慣れ親しんだ世代はなかなか紙から離れられない。40才代までは本の所有欲が強いですから、この人たちが消費マーケットに残っている、あと20年くらいは、なんとか持つんじゃないですか。でもデジタルネイティブと呼ばれる今の10代、20代の価値観は確実に変わっています。紙をベースとした産業に携わる人たちは、今のうちに次の手を考え、なるべく早く実行に移していかなくてはならないと思います。

--電子書籍の第一人者の植村先生が、ご自分で読む本は紙の本…というお話をお聞きできたことはとても印象的でした。本日はありがとうございました。