素晴らしき製本

株式会社 偕成社 社長 今村正樹様

--児童書に特化された理由は何でしょう

株式会社 偕成社 社長 今村正樹様

 戦後に児童書専門になったのは、戦前の軍国教育の反省から、「これからは子供のための教育が大切だ」という思いが大きかったことと、1953年に学校図書館法ができて予算が投入され、児童書の市場が形成されてきたから、ではないでしょうか。  現在、児童書の専門出版社が数十社ある中で、当社は老舗と言えます。児童書は、図書館市場と書店市場が両輪ですが、当社はどちらかというと書店が中心です。
 私は、東京海上(当時)に4年程勤めてから1980年に入社し、1992年に社長になりました。入社した年は、上り坂のピークに近い頃。出版界全体のピークは1996年と言われ、児童書はそのちょっと前から売上が落ち始めました。今の出版界全体の規模は2兆6千億円から1兆3千億円弱へ、ピーク時の半分になりました。

--社長は普段どんなお仕事をされているのでしょうか

 出版社でやり方は違いますが、編集企画は全部私が決めていましたが、ごく最近編集部長会議で決める形に移行しました。企画を決めるポイントは、やはり内容です。児童書の場合、作り手と読み手が別で年齢も違うので決めるのは難しいですが、「子供が喜びそうなもの」、「これは子供のために出しておかないといけない」というものを出したいと思っています。

--児童文学の変遷について聞かせてください

 創作児童文学は、1950年代から徐々に盛んになり、1980~90年がピークで、その頃の主要作家である松谷みよ子、山中恒などの作品を出して、良く売れましたね。それが今は、堅いというか、純文学的なものは売れなくなって、割と軽い作品が中心になっています。こうした変化は、子供を取り巻く環境や、価値観が変わってきたからでしょう。1980年代までは、創作児童文学の一番大きなテーマは「戦争」と「学校生活」でした。もちろん今でも昭和の戦争は取り上げられていますが、太平洋戦争から70何年も経ってリアリティを持って子供に伝えるのが難しくなっています。また、1970年代までは、学校生活を描いても割とポジティブで、これから新しい国を創っていこうという、戦後の明るさがあった。ところが80~90年代にかけて、いじめなどが増え、児童文学のテーマとして扱うのも難しくなりました。

--お好きな本、思い出の本をお聞かせください

株式会社 偕成社 社長 今村正樹様

 個人的にはあまり小説は読まず、ノンフィクション系が多いです。今年読んで一番心に残った本は、アメリカのポストモダンの作家で自殺したデイヴィット・フォスター・ウォレスが、あるコミュニティカレッジの卒業スピーチを本の形にまとめた『これは水です』(田畑書店刊)。今社会に巣立っていく若者たちに向けて、この困難な世の中を生き延びるためにこそカレッジで学んだ「リベラルアーツ」が大切なのだと語りかけた感動的な本です。「大学の教養部など時間の無駄」ていってリベラルアーツを軽んじたこの国の為政者たちに読ませたい一冊です。
私は中学・高校が麻布学園ですが、自由で面白い校風で、この時期にサルトルやマルクスを読み、高校一年の国語の課題では第一次戦後派の武田泰淳、椎名麟三、梅崎春生も読みました。
 麻布の先輩には、北杜夫、なだいなだ、吉行淳之介がいます。特になだいなだは、いわゆるバランスの取れた市民社会というか、日本がちょっとおかしい方向へ行くとおかしいと言える人で、彼の本はほとんど読み尽くしました。なださん北さんが本で共通に薦めていたカレル・チャペックの『園芸家の1年』は、私にとって人生の指針となる本で今でも講演などで引用したりしています。おふたりとも市民社会の常識を大事にした方々で、先鋭な理論じゃないから割と軽く見られますが、人間としての基本的な考え方だし、我々のように子供の成長に関わる仕事をしていると、いろいろ教えられます。
その後、大学入学時に夏目漱石の小説を全部読み、北杜夫の影響でトーマス・マンの長編もほとんど読みました。たぶん学生の頃の体力じゃないと読めなかったでしょう。当時「英語は伸びないが国語は放っておいても高水準になる」と言われていた麻布の教育を受けた時代は、友人と刺激し合いながら本を読む…非常にハッピーな時代でした。

--ロングセラーが児童書の特徴だそうですが

株式会社 偕成社 社長 今村正樹様

 半年で100万部になる作品はないが、20年かけて100万部は結構あります。子供の頃読んだ本が親になった時に子供へ伝えられるのです。書店さんがロングセラーを大事にしてくれるのでありがたいですね。
 子供の本の場合は、図書館の影響も大きい。小さな自治体でも公民館に児童文庫がありました。経済的に厳しく、パッと本を買いにくいけど、図書館で見て楽しむうちに、子供たちにとってこれが絶対という本ができてきて買う…というのが多いようです。  読書の習慣をつけるには、世の中に最低限ある程度の本があることが必要です。そうすれば何かの拍子に読んだりすることになる。井上ひさしなど作家の方々は結構家にあった本を読んで育っています。丸谷才一も言っていますが、そういう環境がないと本に親しまない。読む習慣は子供の本でできるが、子供の本から大人の本への移行は、本が近くにあって興味を持つことがないと難しいようです。
 とにかく書店・図書館などで、子供さんが本に接する機会が多いことが大切で、少子化で市場全体は縮小しても、本に触れる子供の数はそれなりに維持できている。日本の親は教育熱心で、かつ絵本を通じて子供を育てる、という思いが強い。自治体がやりだしてすでにかなりの時間がたつブックスタートという、乳幼児健診の時に絵本を贈る活動なども、本に触れる機会を増やしています。

--電子書籍についてはどうお考えですか

 雑誌が典型的で、電子媒体の場合は必要な情報を得るというレベルにとどまっている感じです。雑誌が売れなくなったのも、結局モノとしての雑誌ではなく、必要な情報だけを取るには電子媒体の方が楽で便利だから。書籍の場合は一つの作品を、単なる情報でなく、まとまったものとして読むことができるという点で、引き続き紙の方がアピールできる気がします。電子書籍の先進国のアメリカでも、電子書籍の割合はある一定程度で頭打ちになっています。紙の本への思いみたいなものは、どこの国でも共通にあるのではないでしょうか。放っておいても読者は使い分けると思っています。
 経営的には、電子書籍と全く離れている訳にはいきません。現実に当社もある分野の読み物は電子化している。ただ、電子の使い方については、海外の例などを見てもプロモーション目的が多い。それを見て最終的に紙の方を買ってもらおうというものですね。当社も海外に版権を結構売っていますが、プロモーションのための電子書籍の版権を許諾して欲しいというのが随分ある。韓国などが多いですね。
 海外と言えば、絵本にも国の特性みたいなものが出る。ヨーロッパは多少売りにくい感じで、英・米は基本的に海外の本を買わない。一番売れるのは中国本土。あとは台湾、ベトナム、タイなど。東南アジアは文化的な近さもあって、絵のスタイルからも比較的受け入れられる。
 私自身、電子書籍の使い方を完全には知りませんが、そんなに便利かな。あれどこだっけ?と言ってパッとめくれるから紙の方がよっぽどいい(笑)。紙の本の価値は、我々世代がそう感じているだけなのかどうかが問題です。あと二世代くらい代わるとどうなるのか…。ただ500年も人類が親しんできた媒体だから、そんなに簡単にいらない!とはならないと思う。会社がどうなるかは別にして、最終的に作った本が残れば、それを以て瞑すべしです。本は、人類共通の財産として残っていく。本当に価値があれば誰かが受け継いでいくことであり、そういう価値のある本をつくっていきたい。

--印刷・製本についてはいかがでしょう

株式会社 偕成社 社長 今村正樹様

 本当にお世話になりっぱなしです。市場規模が半分になったのに、潰れた出版社が思ったより少ないのは、製造過程でのコストダウンのおかげが大きいでしょう。
ただ、ここへ来て年8万点の仕事が動いていて、とても全部書店に並べられず、絶版になる。それでも過去のあの本が欲しいという読者がいる。そうなると、1ロットが極端に小さくなり、いわゆるオンデマンド的なものが必要になる。今、社会科学・人文科学などの専門書出版社さんは、初版1,000部を切る程で、とても厳しい。できるだけ沢山の読者の要望に応えるために揃えておきたいが、倉庫にも限りがある――。
 それならオンデマンドでできると言うと、それは別に出版社ではなくて個人の自費出版に近い。やはりある程度在庫をもってリスクを抱えてやっていくのが出版社の存在理由でしょう。そこをどう折り合いをつけるのか。極々小さなものの対応まで従来の印刷・製本さんに求めると、「そんなもんシゴトにならない」と言われそう(笑)。
 例えば最近私がアマゾンで注文した絵の本は、注文を受けてから1冊ずつ印刷し手作りで製本して発送するなど、これまで考えられなかったことがされてきている。製造工程で、お客様のいろんな要望に対応するのは大変でしょうし、出版社の方もそれに対応して態勢をつくっていかなければならないと思います

--変わる時代のビジョンみたいなものは

 それが一番難しい!今の出版業界がどうなるかわからないわけですから。 編集企画を決める時、作品の中身についての判断はある程度できても、付随する風俗みたいなものは、すでに古びてきている私の感覚で判断していいかどうか悩む。子供とは50年以上の差が付いていて、同じ感覚というわけにはいきませんが、それでも比較的小さいお子さんの感覚は、時代が経っても変わらないし、わかりやすい。しかし、風俗が重要な要素の話になると、背景にある価値観への判断が自分にかかってくるので難しい。しかも、あまり風俗に流されると、今度は本の寿命が短くなってしまいます。
 子供の成長に寄り添って本をつくるのは楽しい。子供たちに少しでも希望をもってもらえれば、ポジティブな姿勢でできる。編集企画で、子供のためになるかどうかを考えて出版し、それで結果的に儲かるのがいいですね(笑)。ウチならできるかどうかという微妙な綾もあります。例えば昨年爆発的に売れた『うんこドリル』。これがウチの企画に来たら出せたかどうか?偕成社としてどうかと考えてしまう。まぁ、いつまでそんな呑気なことを言っていられるかわからない厳しい時代ではあるのですが…。

--本日はありがとうございました。