製本用語集

パターソン

明治の初めわが国に洋式製本を伝えた。「雇英人パトルソン(パタースン)をして、製本の技法を伝授せしむ。後年、本邦における洋風製本術は、ほとんど、ことごとく、この人に出ざるはなし」(印刷局五十年略史 大正10年刊)と「東京製本五十年史」に紹介されている。「金子福松と共同製本」には「蛮書調所に居たオランダ人からとも、また印書局(印刷局の前身)外人技師であったパターソンに教えを乞うたともいわれている」とある。(以下「東京製本五十年史」より引用)明治6年5月、カナダ人W・F・パターソンが印書局に製本教師として雇われ、多くの養成工に製本・罫引術を伝授した。パターソンの経歴については、これをつまびらかにしないか、当時の作品を見ると相当高度の技術をもっていたようにおもわれる。パターソンは、明治9年7月まで、印書局(当時は紙幣寮活版局と呼んだ)に勤務したが、在職中に製本の雛形をつくり、製本術伝習の順序を規定するなど、いろいろ功績があったので、解雇に際しては、功労により琥珀織一巻を賜った。パターソンから直後、製本術を伝授された者のうち、名前の判明するのは徳屋敬忠、水野鉄次郎、上原金次郎の三名。水野鉄次郎は、本邦方式帳簿開拓者の一人にかぞえられる。